[優しさ]

 わたしにとって、何かを書くことの発露は、苦の表象であったから、心安らかな日々を送っていると、何も産み出さなくなってしまう。生が若干創造的でありうると、別バージョンでの創造の必要性は、ひとまず、「息を吸う」というレヴェルではなくなってくる。
 論文が書けなくなってしまったこの一年余り。対象を思いやるだけの寛容さを持ち得ず、対象を論じているのだか、自分を語っているのだか、訳分らず、ゴミ箱行きの数々の雑文。

 この間、N先生のゼミに出ていて、久しぶりに、「S.W.だったら?」という半ば習慣化された思考回路が再び開通した。

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 一人の個人がもう一人の個人と溶け合ってしまうとは、いな、溶け合ってしまいたいと思う衝動とは、どういったものだろうか。少なくともわたしの場合、優しい気持ちに包まれて、精神的なレヴェルにおいても、身体的なレヴェルにおいても、とても恥ずかしい思いをして、そのことを受けとめてもらえることと不可分であるような気がする。そうした無数の瞬間ショットが、不安や心配の奥底で、「こちら側」に繋ぎ止めてくれる、強力なエネルギーになる気がする。

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 ミクシを書かなくなって、一ヶ月半が経つ。自分のきわめて個人的な心情を、薄い関係性の人々にさらけ出していた一年半を考えると、空恐ろしい気がしてくる。自分一人では制御できないこと、また、自分一人では創造しえないことが、日常生活のなかに、沢山ある。