[世界]

 またまた世界は悪意だと落込んでしまう。オッくんと電話でお話して少し落ち着いた。わたしはオッくんのお話を聞いているのがとても好きだ。有名な大学教員やそうした教員を慕う学生にろくな奴はいないと思う。かといって、無名のしみったれた教員や学生もそれはそれで問題なのであるが。

 オッくんは、現代人とは思えないほどの教養人である。某教員に、「今の日本に知識人なんていませんよね」と言ったら、「わたしはどうなの?」って顔していたけれど、この人は単に名前を売るのが趣味な人である。オッくんみたいな人がいることを知れただけでもよかったと思う。大海のなかで、ゆっくりと遊泳してゆく。この余裕こそが、おそらく大学という場所に求められていたはずだけど、どれほど見える世界が醜悪になっても、ゆるがない広い見えない世界が己れを支えることを知る場所であったはずだけれど、今の大学は、商社よりも、計算によって動いていると思う。というより、商社のほうがフェアであるというか、密室でいったいどれほど傍若無人なことが行なわれているのか、ゾッとする。

 「創造的想像力がなければ、とてもこの散文極まる世界を生き抜くことはできない。この創造的想像力のことを自分は、詩と言う。」S.D.「詩の世界を知るべし」